筆者は東京の住宅地に生まれ育ちました。いわゆる「自然」と触れ合ったことがほとんどありません。それでも「自然の風景」についてはテレビやインターネットのお陰で、間接的ではありますが目にする事ができます。しかし耳で聞く「自然の声」については、圧倒的に情報不足です。蝉や蛙の鳴き声も、いつどこで聞いたかを覚えているほどの僅かな経験しかありません
古の日本人にとって自然の声はごく親しいものであったでしょう。
「奥山に 紅葉踏み分け 鳴く鹿の 声聞くときぞ 秋はかなしき」
猿丸大夫 (小倉百人一首)
など、古典文学には豊かな描写がたくさんあります。ところがこれらを読んでも、自然に疎い筆者には悲しいかな、どんな声なのかちっとも実感が湧かないのです。
新潟県十日町市菅沼にある立正佼成会の会開祖生誕地で演奏する機会が何度かありました。ここは市街地からクルマで30分、豊かな自然に囲まれています。ある年の新緑の頃、出演の合間に散歩をしていたら、ホトトギスの生声が聞こえてきました。「あれ何だ?本物のホトトギスだあ!」生まれて初めての経験に大興奮です。都会育ちであるがゆえに、大人になってからこんな感激を味わうことになったわけです。ただ、図鑑によるとホトトギスは「テッペンカケタカ」と鳴くことになっているそうですが、とてもそんな風には聞こえず、「チョッチン、ケキョキョ」と、お世辞にも上手いとは言えない鳴き声でした。
その年は夏にも訪れる機会がありました。森では盛んにホトトギスが鳴いています。すっかり上達しているのですが、何だかちょっと違う。「テッペ~ン、カケタッ」と聞こえます。しかもこの「ケ」がオクターブの音程で飛躍し「夜の女王のアリア(モーツァルト/魔笛)」ばりに、ちゃんと外さずに歌っているのです。そして語尾は「カケタカ」ではなく「カケタッ」と3拍になっていました。ホトトギスはウグイスに託卵するのだそうですが、育て親への感謝の念が篤いのか、この地方のホトトギスは大人になっても「ホ~、ホケキョッ」とウグイスの囀るかのごとく鳴くのでしょうか。
ところで、現代の都会でも聞くことのできる鳥や獣の声もあります。カラスの喧嘩や発情期の猫の鳴き声です。こいつらはどうもねぇ~、風情がない。和歌や音楽になりそうもありません。ところで、いちど秋の鹿の声を聞いてみたいものです。果たして物哀しさを感じることができるでしょうか。TT
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