生田斗真主演の映画「源氏物語 千年の謎」に影響されたわけではないのですが、私も「源氏物語」を読み始めました(「謹訳 源氏物語」林望 祥伝社)。本筋は皆さまご存知のとおり、やんごとなき「光源氏」の華麗なる女性遍歴物語で、これがまた抜群に面白いのですが・・・。
雅楽の徒としては、作品中の雅楽への言及も特別に興味深いものがあります。訳者が雅楽のスペシャリストというわけではないので、「ひょっとして誤訳してやしないか」などという野次馬的ひねくれ読みもまた楽しからずやですが、今のところ正確な解釈で、さすがはリンボウ先生です。
全54帖のうち、「紅葉賀」までの7帖を読み了えたところです。まず、当時の宮中では何かにつけ管絃の宴を催す、ということに感銘を受けました。というよりこの物語には、背景説明を別にすると、女通いと物忌と詩歌管絃のことしか書かれていない、という印象すら受けます。男性の主人公であるのなら乗馬や武芸のことを書いても良さそうなものと思いがちですが、この時代の貴族においてはそんなことは決してしなかったのでしょう。
光源氏は笛と舞を嗜みます。「紅葉賀」の帖の「青海波」は有名です。その他、紫の君には手ずから箏を仕込みますから、これもやはり上手かったのでしょう。
作中のお姫さまや女房たちは筝や琴を奏でます。また琵琶の名手という女房も登場します。ですが吹物をやる女性は出てこないようです。当時の管楽器は女性には大変だったのかもしれません。
大篳篥や笙の笛などが言及される時は、決まって専門楽人が吹き鳴らすことになっています。「殿上であろうと地下であろうと」などという修飾語がついている箇所もあります。これらの楽器は専門的な訓練を受けないと演奏できなかったようですが、そのような「専門家」は単なる職人として公達からは一段目下の者と見なされた、とも読めます。古代ギリシアの貴族的な哲学者であるプラトンが、専門家とか民主主義を嫌悪したのと相通ずる心理のようで興味深いです。
でも笙吹きとしては、光源氏に是非とも笙を吹いて欲しかった、と返す返すも紫式部を恨む次第です。 OD
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