笙の「裏」レパートリー

雅楽曲で、笙は原則として和音を鳴らし続けて曲を支えます。もちろん旋律を吹くことだってできるのですが、篳篥や竜笛に比べるとやっぱり音量が小さく、単音の音色は単調でメリハリをつけにくく、メロディー向きではないように感じます。やっぱり複音で、曲を包むような雰囲気を醸す機能が笙の真骨頂です。

 ですが場合によっては、和音の連なりだけであたかも普通の曲に聞こえるものもあります。「荒城の月」や「さくらさくら」など、単に旋律に則した和音を四分音符で鳴らしてゆくだけで、該当曲に聞こえます。

 洋楽も然り。例えばイギリス国歌やドイツ国歌(もちろん「君が代」も)は「さくらさくら」などと同じく、四分音符だけでできているようなもので、かつ移調すれば笙の音域にほぼ収まってしまうから、和音を追って吹きさえすれば「らしく」聞こえます。「十」や「下」などの合竹は、洋楽の和声の観点からは邪魔な音が目立ちますが、また別の雰囲気になって「それもいっか」と思ったりします。

 けれどもアメリカ国歌やフランス国歌など、余りにも曲の音域が広かったり派手なリズムだったりすると、流石に笙の手には負えません。和音(コード)だけ拾って吹いてもまるで原曲には聞こえません。「笙はふさわしい曲を選ぶ」といえるでしょう。

 ところがそれを逆手に取ると、マドンナ「ライクアヴァージン」やマイケルジャクソン「ビートイット」だって吹けちゃいます。手慰みにコードを鳴らしていても誰にも気付かれませんから。ポップスのヒット曲でロングトーンのトレーニングです。この点は篳篥や竜笛にはない、笙吹き独特の秘かな楽しみですね。

・双調春庭歌、アタマの1行(「雅楽のモーツァルト」)
・和琴の神楽「菅掻(すががき)」(和音を分解すると「印象派風」の響き)
・伝カッチーニ、「アヴェマリア」
・バッハ/グノー、「アヴェマリア」
・ワーグナー、歌劇「タンホイザー」序曲
(「蘭陵王」の冒頭4行を髣髴とさせる、音域は全く違うが)
・モーツァルト、歌劇「魔笛」序曲
・ヘンデル、歌劇「リナルド」アルミレーナのアリア「私を泣かせて」
(「ウエストサイド物語」の終曲「Somewhere」とも類似)
・ヴィヴァルディ、合奏協奏曲「四季」より「冬、第2楽章」

 なお「パッヘルベルのカノン」は「吹いてくれ」と言わんばかりのぴったりな曲なのですが、笙には音域が広すぎるので断念しました。代わりに「和琴、菅掻」の笙ヴァージョンを作ってみました。

 こんな曲を試しながら、大聖堂での誕生初参りをおつとめしています。笙は謂わば「イ長調管」なので短調の曲には手が出せませんが、根暗にならなくて幸いです。大聖堂ご本尊の前で吹くのは通常とは違い、異界との交流といった感じがします。またご本尊と赤ちゃんが赤い糸で繋がっているような気がして、まさに「音楽は宗教に最も近い芸術」という説のとおりです。一旦こういう体験をしてしまうと、そのうち世俗の場所では吹けなくなっちまうんじゃないか、と心配にすらなってきます。

 とはいえ、ご本尊の前でマドンナをやらかすと罰が当たりそうで、残念ながらこれは封印です。 KT

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